「川縁の家」外壁の杉板張りが始まりました、
自然素材の持つ質感やムラは目触りが良いですね。
玄関を入って正面の窓、視線がパッと抜けて行きます。
丁寧に仕事を進める職人さん達、一服中のさわやかな笑顔です。
「川縁の家」外壁の杉板張りが始まりました、
自然素材の持つ質感やムラは目触りが良いですね。
玄関を入って正面の窓、視線がパッと抜けて行きます。
丁寧に仕事を進める職人さん達、一服中のさわやかな笑顔です。
先に投稿した「新版・日本村」合わせてこの「百年前の日本」を読むと面白い、
今から130年程前、1890年頃の日本各地の様子が明治の「お雇い外国人」
エドワード・モースによって撮影されています。
「新版・日本村」では1970年頃の”高度成長”によって経済大国へひた走る様子を、
「百年前の日本」では1890年頃の”明治維新”による急激な近代化へ舵を切った国の
様子を、都市部、農村部ともに確認する事ができます。
「明治維新」「高度成長期」という日本の大きな転換期を2冊の本で追う事ができ
るのはとても興味深いです。
亀戸天神の藤棚の様子、まるで浮世絵のような風景。
銀座の大通りの様子、電線、路面電車が走る近代化してゆく街並み、
ただ両側に並ぶ建物は瓦屋根の木造2階建て、街のスカイラインは崩れてません。
農村部はほぼ江戸時代のまま、「新版・日本村」に収められた地方の写真は
まだこの風景との繋がりを感じます。
本の終わりにモースの言葉が載っていました。
「この国の文化は、日ならず、西欧化の波にのまれて、消え去って
行くであろう。その前に、記録しておくのだ。」
今の日本の街並みとは断絶した「百年前の日本」の情景、
現在の街並みの原型を見る「新版・日本村」のモノクロ写真、
変わりゆく街のポートレイトとして貴重な2冊の本です。
誕生日に家族に買ってもらった新版「日本村」
淡路瓦師でもある山田脩二さんの写真集です。
1960~70年代、高度成長期に無秩序に変容して行く都市部の様子、
土臭くうらぶれながらも街の記憶や身の丈の景色を保持する地方の風景。
都市と地方が”断絶”して行く様子をザラリとしたモノクロ写真で切り取って
います。
1970年頃に超高層ビルが立ち上がってゆく都市の風景、
ここで街の”ありかた”のようなものが決定的に変わった事を感じます。
定食屋や居酒屋が並ぶ「街」に打ち込まれた圧倒的な超高層のスケール。
資本というもののパワーを剥き出しにしたマッス・塊は、ゆるやかに繋がっていた
スカイラインや染みついた街の記憶を無視するかのように聳え立っています。
建築家の内藤廣さんがこれからの50年、100年を考える時は50年、100年
の過去を探れ、というような事を書いていましたが、半世紀前の日本の
街の息遣いを感じ取る事のできる貴重な写真集です。