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2022.6.17

カジュラホでたっぷりと英気を養い、聖地ベナレスへ。
真っ青な空の下、ガンジス河のほとりでは流れ作業のように火葬が
行われ”焼きあがった”灰を「エイヤ!」と河へ流しています。
そのすぐ横では沐浴を行っている人や歯を磨いている人々
深刻な気配は一切なく、あっけらかんとした気持ちの良い風景。
もくもくと空に昇る煙を眺めながら「ここに来れてよかったなぁ」
と素直に思いました。

夕暮れ時になると人々集まり”プージャ”と呼ばれるお祈りの儀式が始まります。
子供の頃出掛けた夏祭りを思い出すような、なんだかとても懐かしい風景。

プージャが終わると食堂へ。
食堂は地元の食べ物を味わいながら、現地の人々の暮らし・営みをありありと
感じる事ができる旅のベストポイントです。

インドを後にしてルイス・カーンの国会議事堂のあるバングラディッシュへ。
宿に着き爆睡、気が付けば夜のとばりが下りています。
外は猛烈なスコール、バルコニーから町を眺めているとパッと電気が消えました。
どうやら停電、街の人々は慣れた様子で蠟燭に火を灯し、めいめい何事もなかった
かのようにくつろいでいます。
今の日本にはなくなってしまった”おおらかさ”を見たようで嬉しくなりました。

翌日、ルイスカーンの国会議事堂へ。
”建築”は圧巻でしたが、
写真を撮らせてくれた少女のはにかんだ立ち姿、
夕暮れに光る川の水面や深い緑の樹々、「そっちほうがずっといい。」
それがこの旅で感じた素直な感想でした。
僕は圧倒的なモノとしての”建築”よりも
市井の人々の”暮らし”や馴染みの良い”場所”に惹かれる性分である事が
良く分かりました。

何物でもなく、何一つ証明するものをもたない20代の青年。
40代のおじさんになったら”暮らし”や”場所”にかかわる仕事を
存分に愉しめるから頑張れよ~!と声を掛けてあげたいくらいです。

”負けに負けた”インド放浪、
20年経って振り返ると旅の中のいろいろな”景色”や”匂い”がしっかりと
自分の中に沁みつき、残っている事に気づかされました。
体ごと突っ込んで行くように彷徨った20代の”旅”
今も陰ながら自分をそっと支えてくれているのだと感じました。

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インド建築放浪
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2022.6.15

アーメダバードから東部の街へ向かうため一度ニューデリーへ帰還。
ただやはり鬼門のニューデリー、素通りはさせてくれないようです。

明け方5時頃駅に向かって一人歩いていると一台のオートリキシャ
(オープンタイプの3輪タクシー)が寄って来てます。
「ヘイジャパニ、乗れよ!」
と3人がかりで強制乗車、
駅へ向かう交差点に差し掛かかった所で運転手が
逆方向へハンドルを。
「これは本格的な拉致コース」
と直感した僕はその瞬間走っているタクシーから道路へダイブ!!
交差点にいた人々が何事かと走り寄って来ます、
その様子を見てオートリキシャ―はあきらめたよう。

腕を擦りむいたのでシャツを巻いて血を止め、何とか駅へ。
列車に乗り込み座席に腰を下ろした瞬間
「ダイハードみたいな事しちゃった。」
と妙な感慨に耽りました。
前の座席の旅行者が僕の腕を見て「どうしたんだ?」
と聞いてきたので事の顛末を伝えると
「India is crazy!」
と吐き捨てるように呟いた場面、今でもはっきと思い描く事ができます。
藤原新也さんが本に「インドには負けに行った。」
と書いていたのですが身をもって実感・・・

そんな”ケチョンケチョン”にされた僕を癒してくれらのがカジュラホの街。
のどかでちいさな田舎町、昼は木陰でビールを飲み夜は宿のみんなで
川辺にホタルを愛でに。
慌ただしいインド旅の中で平穏なひと時を過ごすことが出来ました。

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インド建築放浪
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2022.6.12

この旅行でどうしても行きたかったアーメダバードの階段井戸。
安藤忠雄さんの本でその存在を知り、地下へ深く潜り込む大階段が
いったいどんな空間なのかと妄想に耽っていました。
駅につくと先ずは近くのモスクへ、
一人旅の良さは現地の人とすぐに仲良くなれる事ですね。

身長と脚の長さのバランスがどうしても納得できない記念写真。(^^)

華やかな色の布を纏った女性達

モーガンフリーマンのような雰囲気を持つダンディなタクシーの運転手。
インドの人々は誰を撮っても絵になります。

 

いよいよアダーラジの階段井戸へ出発。
中央駅からバスに揺られて30分程、まったく土地勘がなくバスの運転手の
横にひばりついて5分おきに「もう着くか?」と尋ねながらなんとか現地へ。

わかりやすく言えば「京都駅の大階段」が地下に埋め込まれたような建築物。
階段を一番底まで降りてゆくとヒンヤリとした空間に緑の水面(井戸)が揺れています。

平均気温が35°最高気温が45°を超える灼熱の地、この階段井戸に潜り込み
涼を取りながら井戸端会議をしていたのだろうなぁ・・
などと想像しながら描き留めたスケッチ。
暗く湿った地下空間に上方から差す一条の光、実用的でありながら
詩的で”建築ごころ”のある場所でした。

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インド建築放浪
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2022.6.10

ニューデリーの喧騒と人いきれから逃れるように北部の都市
チャンディーガルへ。

「チャンディーガル」はフランスの建築家コルビュジェが計画した都市。
ニューデリーの雑駁さからギャップがありすぎたせいか、正直なところ
スカスカで大雑把な街だなぁ、という感想。
千葉の幕張新都心を初めて訪れた時も同じような印象を受けました。
そこに住む”人々の暮らし”と”街のスケール”がしっくりしない。
”現実”の暮らしと”理念”としての都市がうまく調和できていない。

何百年と時間を掛けて自然に成り立ってきた街と、一人の建築家の頭脳を
頂点として計画された街、生活の場としてのディテールの圧倒的な落差を
感じました。

それでもそこに暮らす人々は明るくしぶとくけなげです。
何日か中心部へ脚を運びスケッチをしていたのですが、「何描いてんの?」
と子供たちは気軽に話しかけてくれますし
特に印象深かったのは白いセーターを着た中年紳士、
僕が露店で買ったピザを食べていると、
「きみ、すまないがちょっといいかな。
その、君の食べている”それ”
もしよければ私に一枚シェアする気はないかい。」
と澄み切った瞳で語りかけて来ます。

こんな紳士にこんなに穏やかに食べ物を催促された事はなかったので
「もちろん。」
とピザを一切れ渡し、二人で道端に座りながらもぐもぐ食べました。

チャンディーガルを離れアグラのタージマハルへ、
第5代ムガル皇帝がなくなった妃のためにつくった巨大な墓。

プロポーションのうつくしい外観は写真で何度も目にしていましたが
実際に身を運んでみると圧倒的な石の質量。
内部空間はほぼおまけのようなもの、みっちりと詰まった大理石の
放つ存在感はまさに墓標。
これだけの大きさの”墓”をつくらせた皇帝の狂気を感じるとともに
”建築”は権力者・為政者の”圧倒的なパワー”を知らしめるための手段として使われて来た事を改めて実感。
ただそのパワーと狂気が桁外れだったからこそ、何世紀にも亘り
”建築”として存在し、持続し続けているのかもしれません。

デリーの喧騒、チャンディーガルの空疎、タージマハルの狂気、
いろいろなものに当てられ疲れ気味、引きずるように旅を続けます。

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インド建築放浪
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2022.6.4

なかなか旅行ができないので昔の旅を振り返ってみました。

北海道の大学でワンダーフォーゲル部に在籍していた当時、
愛読書は藤原新也「インド放浪」と小林紀晴「アジアンジャパニーズ」
ガンジス河の畔でパチパチと焼かれる亡骸の写真を眺めながら、
いつかここに身を置かねばなるまいと心に決めていました。
念願叶ったのは東京の建築学科のある大学へ編入してから、
コルビュジェとカーンの建築を口実にインド→バングラディッシュの
旅へ出ました。
もちろん気軽な一人旅、バックパックを背負い「行ってくるよ」と
家を出る時、祖母が「生きて帰ってくるんだよ~~」と目を潤ませて
いた事を思い出します。

成田からクアラルンプールを経由してデリーの空港へ着いたのは午前3時過ぎ、
出国ゲートを出た瞬間タクシーの客引きが殺気立った目で「ベリーチープ!」
と叫びながらリュックを”ぐいぐい”引っ張ってきます。
しょうがないので似たような境遇の旅行者数人で荷物を中心に円陣を組んで朝まで座り込み。
6時頃ようやく空が明るくなり始め、ニューデリーの中心街へ向かうバスへ逃げ込むように乗車。
スピード出し放題、クラクション鳴らし放題のバスを降りやっと街へ辿り着くと
今度は物売りの少年少女が無言でペンを”ぐいぐい”突き出してきます。
インドについてからひたすら”ぐいぐい”されているなぁと思いながら
なんとか宿へ。
ヘトヘトになって一寝入り、夕方になりバザールを散策。
屋台のバナナを買うとサービスとばかりに猛烈にカレー粉を振りかけてくれました(笑)

翌日、
旅の疲れもあるのか食堂のカレーを食べて猛烈に腹を壊しホテルで紹介してもらた町医者へ。
注射を打って貰いホッとしていると、サイババのような医者の口から
「この注射はベリーエキシペンシィブね、ユー300ドル払いなさい」
というぼったくりバーのようなセリフが
「ワタシ財布はホテルにある、また今度払いに来るよ」
とこちらも下手な英語で応戦
「OKアナタ今から私の助手と一緒にホテルに行ってマネー取ってくる」
と2人の助手がホテルまでの道のりをぴったりと寄り添うように・・・
ホテルの入り口に着いたところで助手を待たせ一人フロントへ、
宿のおじさんに状況を伝えると
「部屋へ戻れ、荷物を取れ、そして裏から逃げろ Run away!」
と裏口から逃がしてくれました。
平和な日本の日常から48時間ほどでドラマのような修羅場の連続。
次の宿へもぐりこみ、掃除夫のお爺ちゃんの嘘のように美しい鼻歌を聴きながら
「インドに来たんだなぁ~」とひたひたと実感すると共に
早くこの街を抜け出そうと心に決めた24歳の夜でした。

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インド建築放浪
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2020.9.1

独立して自分の事務所を設立した頃、約1カ月半の北欧建築旅行をしました。
コペンハーゲンに滞在した時に、ウッツオンの設計した教会があると聞き
脚を運んだのがこの「バウスヴェア教会」。

コペンハーゲン郊外の駅で降り、少し歩くと教会の外観が見えてきます。
「あれっ」と思うほど素っ気ない外観。工場か倉庫のよう。

外観からは想像のつかない豊かな内部空間。
簡素で清廉なインテリア、入道雲のような天井から白い透明な光が落ちて来ます。

ウッツオンのコンセプトスケッチのトレース。
ハワイの海岸で雷雲を眺めている時に「雲の下に集う教会」という
アイデアが生まれたとの事、詩人ですね。

プランは2.2Mのグリットで構成されたシンプルなもの。
東西に伸びる骨格に居室と光庭が交互に埋め込まれてゆきます。

こちらがダイナミックな断面、
「雲の下に人々が集い、雲間から光が差し込む。」
そんな美しい情景を見事に空間として実現させています。
建築はプランが命と思っていますが、断面もまた決定的に大切な要素だと
思い知らされた体験でした。

またウッツオンの娘、リンが担当した美しいテキスタイルの色使いも秀逸。

この時は独立したばかりで今後の仕事の見込みもなく、不安な心を抱えながら
の建築旅でした。
ただこの「バウスヴェア教会」で天井から落ちてくる光を感じている時に
「建築っていいなぁ・・・仕事もなんとかなるんじゃないかしら」と訳もなく
勇気が湧いて来たのを覚えています。
いつかトレースしなければと思っていたのですがやっと出来ました。
思い出の建築です。(^^)

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ヨーン・ウッツォン北欧手描きスケッチ
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2014.7.8

地中海近くのニース(北緯43°)から出発して、北欧ヘルシンキ(北緯60°)まで北上していった今回の旅。
建築家の建物巡りとともに地域によって民家の形がどのように変化して行くのか? 住宅設計に携わる者として多いに興味がありました。
ちなみに札幌がニースと同じ北緯43°、東京は北緯35°、最多降水量231mmです

南仏ニースの民家、札幌と同じ緯度ですが海流の関係で暖かく、気温は東京と大差ありません、降水量は半分以下。
屋根は赤瓦の半丸一種類で作られ、軒はほとんど出てません、軒裏も漆喰で塗りつぶされています。
壁は荒い石積みで、幅の狭い窓が規則的に並んでいます。

フランス中部リヨンの民家
ニースの民家と基本的には一緒ですが、屋根は赤瓦だけでなく、外壁は石積みの上に漆喰がぴっしりと塗られていました。軒裏は木の構造材が現しになっています。

デンマークの民家
屋根が急勾配になり、出窓が付いています、屋根裏空間が部屋として使われている証拠です。日本の民家の兜づくりに近い形ですね、外壁は石積みだけでなくレンガ積みが多く見られます。

スウェーデン、フィンランドの民家
気温は東京-10°程度、降水量は1/4程
今迄の民家と大きく変わるのは木造になる事。聞いたところフランスなどと違い石が取りにくく森が豊かだからとの事でした。
大きな特長は外壁の赤と白の可愛い色使い。ログハウスのような構造材の上に板を張り、日本でゆうベンガラのようなものとトドの血などを混ぜ合わせて塗装する事で劣化を防いでいるようです。
ちなみにフィンランドの面積は日本とほぼ同じ34万km2ですが人口密度は1/20以下、ゆったりした暮らしが羨ましいです。
こうして観察してみるとやはりその土地の風土、気候、人口により建物や街が大きく変わる事を実感しました。
次は日本の民家を沖縄から北海道まで訪ね歩いてみたくなりました(笑)

Category
北欧
Tag
2014.6.27

一ヶ月に渡る建築旅行が終わり、無事に水戸へもどりました。
ずーっと胸に秘めていた憧れの建築、
調べ、歩き、朝日の入り方を見てスケッチをし、組み上げられた石を撫で回し、家具を実測して感心し、匂いをかぎ、風の音を聴き、暗闇に差す一条の光に感激し、本当に五感を通じてひとつひとつの建築を堪能する事が出来ました。
ただ今思い返すと建物と一緒にそこで出会った人々の顔が浮かんできます、道を教えてくれたピザ屋さん、わざわざ遠回りして建物の近くへ下ろしてくれたバスの運転手さん、落としたコインを拾ってあげたらはにかみながらキートス(ありがとう)ととびきりの笑顔をくれた小さな女の子。
一人の旅は道を教えてもらったり、地元の食べものを説明してもらったり、そうした小さな善意に支えられながら旅を続ける事が出来るのです。
異国で受ける小さな親切や、優しい笑顔は本当に勇気づけられます。
そう思って日本にいる自分のまわりの人々を思うとすぐにたくさんの素敵な笑顔が浮かんできました。そういった人達に囲まれている自分は本当に幸せ者だと思います。
わがままな旅行を許してくれた家族、暖かい言葉をかけ、応援してくれた友人、まわりの人々。おかげさまで本当に貴重な旅行をする事が出来ました、ありがとうございました!
この経験を活かして益々建築設計の道を精進して行きます。

Category
北欧
Tag
2014.6.25

Category
北欧
Tag
2014.6.19

アアルト建築巡礼、最後の目的地ヴィラ・マイレアを訪れました。
現代美術に造詣の深い友人夫婦のためにアアルトが設計した住宅です。

20世紀の美しい住宅といえば必ず名前のあがるお家です。北欧の建築はまず何より敷地が素晴らしいです。

住宅部分から伸びた外リビング、暖炉やブランコ、サウナ小屋がありなんとも気持ちの良い場所でした。

コルビジェやアアルトの建築を見ると必ずあぁ、コルビジェだな アアルトだなという形を見付けます。独りよがりなオリジナルではなく、地中海の波や静かな湖、垂直に伸びる松林など自分の愛するまわりの自然からインスピレーションを受けているのですね、自分の形、欲しいです(笑)

Category
北欧
Tag