「建築」という言葉があります。
職業柄「あの建築家の本に・・」
とか「あの建築は良かった・・」
などとよく使うのですが、
では「建築」ってなに?「建物」となにが
違うの、と聞かれるとうまく答えられません。
一般の人からすると
「要するに”建物”の事、一緒でしょ。」
で終わりの話しかもしれませんが、
「建築」に携わる身としてはどうもそれでは腑に落ちません。
分からない時には反対の言葉を並べてみる、
建築家の内藤廣さんの手法を借りて手元の紙の切れ端に反語を対になるよう書き込んでみました。
具体的に
「建物・building」として頭に浮かぶのは
コンビニやタワーマンションなど、
両方とも近代性、人間個人を中心とし合理性・経済性を基に組み立てて行くもの。
ある一定の空間で利益を最大化するための最適解の現れ。
「建築・aruchitecture」として浮かんでくるのは
ピラミッドや伊勢神宮のような社寺建築など。
両方とも個人を包括する「神」の存在を感じていた時代の精神から生まれたもの。
理性ではなく感情から組み上げられてゆくので不合理で無駄を許容する空間。
では信仰の解けた近代や現代には「建築」はありえないのか、という疑問がでてきますが
「個人」の脳みその中でああすればこうなると
「合理的にはじき出した」ものが”建物”
自分の存在を超えた「他者」にむかって感情を伴いそっと「捧げられた」ものが”建築”
という見方もできるような気がします。
普段何気なく使っている「言葉」をもう一度自分で捉え直してみる、
情報がひたすらに押し寄せてくる日常の中で大切な作業ですね。